ATOMIC創業70周年 オーストリア・アルテンマルクト本社&ザールバッハ世界選手権取材記/後編
ギア・アイテムその他
ヨーロッパアルプスの中央で70年。もっと速く、レースで勝つために、スキー開発と向き合ってきたアトミック。アスリートのためにプロダクトを作り、アスリートはプロダクトの進化のために協力を惜しまない。Red Tension(レッドテンション)。彼らを結びつけているのは「赤い緊張感」だ。
職人による手作業と完全自動化の融合
「速いスキーを作る。そのパッションは70年前から変わらない」
アトミックCEOのウォルフガング・マイヤーホーファーは、穏やかな笑みを浮かべながらインタビューに答えてくれたが、眼鏡の奥の眼光は鋭く、思わずこちらの背筋がピンと伸びる。20分ほど質問を重ねたのち「ちょっと止めてもらっていいか?」と聞かれ、一瞬なにか気に障るようなことを言ったかと息をのんだが「もうすぐ女子のスーパーGがスタートするから、残りはあとにして一緒に見よう」といううれしいお誘いだった。
ウォルフガング・マイヤーホーファーCEO
風通しのいいラウンジには、すでに大型モニターを囲むようにアトミックの社員たちが集まっていた。前日から元レーサーの解説者がコース上で雪のコンディションを伝え、翌日のレースがどのような展開になるのかを予想していた国営放送では、スタートが直前に迫りくる中でますます熱量を上げて状況を伝えている。きっと34年前に開催された時も同じような光景が見られたのだろう。そして今この時もオーストリア中の人々がそうであるように、ここに集まった全員がバーを切った選手の動向を食い入るように見守る。自国や自分たちのスキーを履いている選手の時にはよりいっそう拳を強く握りしめ、「行けっ、行け」と体を揺らして熱気を送っていた。
「ここで働く人はもちろん、最高峰の舞台で使う選手たちも、それからスキーを買って雪を楽しんでいる人たちも、みんな同じパッションとスピリットを持ち続けている。それがアトミックというブランドなんだ」(ウォルフガング・マイヤーホーファー)
本社工場内の様子
アルテンマルクトの本社では、工場内で勤務する人々も含めて約950人の社員が働いている。クロスカントリーも含めて1000種類を超えるスキーの製造にあたり、年間約50万台のスキーを生産している。世界各地から1000を超える原材料を仕入れ、それらを使ってカーボンファイバーなどの専門的な部材についてもこの工場内で製作されている。
当然ながらサンドイッチのスキーに欠かせないウッドコアも作られているわけだが、その数なんと85種類。ビーチ(ブナ)やポプラ、アッシュなど、スキーの用途やそのスキーに持たせたい特徴によってさまざまな種類の組み合わせと形が用意される。
最も重く頑丈に作られるのはダウンヒルやスーパーGなどの高速系のスキーで、ウッドの質・密度が高いものが選ばれる。反対に近年のアトミックスキーのラインナップにもよく使われているカルバウッドコアなど、実際に片手でしばらく持っていてもまったく疲れを感じないくらい軽いものもある。工場視察ではFIS対応のスラロームモデルのウッドコアを目にしたが、センター部分はスマートフォン3台分以上の厚みがあり驚かされた。ちなみに、サステナビリティが進んでいるヨーロッパの企業だけあって、ウッドコアの廃材は本社近くのスパ(温浴施設)で再利用されているという。
1000種類を超えるという原材料
ウッドコアなどのいくつかの部材は組み合わせてプレス機で接着するのだが、この工程は手作業で行なわれている。モールド(金型)の下板に滑走面やエッジ、ウッドコア、補強材などを組み付け、その間に接着シートを挟みながら層を作っていき、最後に上板を乗せる。すべてのミリ単位が重要になるため、1/2ペアに10分間ほどかけて慎重に行なわれる。この作業を27年間担当しているレベントという社員の給料は、80%が保証され、残り20%はでき上がる製品のクオリティ次第という設定だそうだ。8時間でノルマの55台を間違えることなくセットするには高い集中力を求められるが、それだけ徹底的にコントロールしなければならないパートだという意思が伝わってくる。
一転、プレス機から上がったスキーのまわりに付着する余分な接着剤などのバリは、独自に開発した専用のマシン(というかロボット)によって正確に削り取られていく。職人による手作業と、完全にオートメーション化された工程の強烈な色分けが印象的だった。
第二世代のレボショックを搭載した新レッドスターシリーズ
ニューモデルのベース完成まで約4年
新レッドスターブーツ開発責任者のゲルハルド・ライター
ブーツの開発部門では、解禁になったばかりの新レッドスターブーツの話を聞くことができた。前提として、前作のレッドスターブーツが、使う側にとっても作り手にとっても良い仕上がりだったため、そこからのブラッシュアップは簡単なものではなかったそうだ。それでもレーサーたちは繊細で小さな変化にも敏感なので、彼らの意見を一つ一つくみ取りそれをまとめながら進めていったという。例えば新しいレッドスターTRでは、前作TIの尖った丸みのないトゥボックスの形状を見直しラウンド形状を採用している。またレーサーたちがゲートの衝撃をいかに逃がしているかを検証し、バックルのデザインを変更。一度では納得のいく形に至らず、最終的なデザインが決まるまで3カ月を要したという。
さらに新レッドスターブーツでは、気温の変化に対してシェル高度の変化が少ない「フォーミュラ・プラスチック」を採用しているが、それに加えて「レッドテンション」という少しマゼンタ寄りの赤という新しいカラーが採用されている。言わずもがなブーツにとって素材(プラスチック)は重要で、その色を変えることは性能にも影響する。とくにレーサーたちはその変化を敏感に感じ取るため、テストと対話を重ねながら最終的な色にたどり着いたのだという。
WC総合8連覇のマルセル・ヒルシャー
そもそも今回のニューモデルのようにブーツを一から作る時には、まず開発のトップが示したデザインを2Dキャドで起こし、それを3Dで立体的なモールドを作り出していくところから始まる。指示書に従いシェルの厚みを10mm、14mm、17mm……などと場所によって細かく設定しながら作成していく。この作業に約4カ月を費やすという。そこに3Dプリンターを使ってバックルやキャッチャーなどの位置を決めていき、それらを集約したものを専任のモールドメーカーに発注。メーカーは2カ月ほどかけて作り上げ、その間にインナーの開発チームが製作に取りかかるという。その後、実際にでき上がったモールドに樹脂を流し込み、成型されるわけだが、そこからのクオリティテストにまた多くの時間を費やす。
テストは、必ずブーツを「壊す」まで行なうという。そう聞くとなんだか少し残忍なようにも聞こえるが、レーサーたちが実際にテストを行なった時にブーツが割れてしまうなどということが起こらぬよう、耐久性の限界値を計り、どういう補強が必要かをチェックしてから送り出されるという。当然、冷凍環境下でのテストも行なわれる。
アレクサンダー・オーモット・キルデとマヌエル・フェラーの実物
レーシングモデルのテストは、最初に基準となる26.0cmブーツから実施される。それが成功すると24.0、次に25.0、27.0、そして23.0と、異なるサイズごとにテストを進めていき、すべてのモールドのテストを終えるのに約1年。それが終わると今度はフレックスごとのテストに移る。他社製品とも比較しながら110、120、130と、それぞれに“意味のある”フレックスとなるようデータを取りながら進められ、バックルやストラップなどの部分的なパーツもテスト。すべての工程を終えてベースとなるニューモデルブーツができ上がるのに、約4年の歳月を要するのだという。
ただ、ここまではあくまでベースとなるブーツができ上がるまでの工程で、トップレーサーたちが実際に使用するブーツは、本社近くのATOMIC PRO CENTER(アトミックプロセンター)に持ち込まれ、時と場合によっては選手本人も立ち会いながら数時間かけてチューンナップが施される。その時はバックルやキャッチャーは付いておらず、その穴すら空いていないツルッとした状態で持ち込まれ、選手個々のリクエストや足のボリュームによって取り付け位置を決めながら作っていくそうだ。
トップレーサーたちもフィッティングに通うATOMIC PRO CENTER
開発責任者のゲルハルド・ライターは「大事なのは選手とコミュニケーションを取り、そのフィードバックからこのブーツに必要なことは何なのか、選手と一緒に決定していくことだ。選手が速く滑るために、勝利を得るために何ができるのか。それが私たちのモチベーションになっている」と語った。
第二世代が残した34年ぶりのインパクト
スペシャルアンバサダーのベンジャミン・ライヒ
「アトミックは自分の人生の一部だ。常に一緒に歩んできた。奥さんよりも……いや奥さんと同じくらい大切な存在だ」
想像していたより高い声で笑うベンジャミン・ライヒは、アトミックと32年にわたり契約を結ぶ(本人いわく使用歴は42年だという)アスリートで、ワールドカップでは通算36勝、06年のトリノ冬季五輪ではスラロームとGSの2種目で金メダル獲得、世界選手権では通算10個のメダルを獲得したスーパースターだ。今回ザールバッハでの新レッドスタースキー&ブーツの発表に際し、日本をはじめ世界各国からディストリビューターが招待されているが、ライヒは彼らと一緒に山に上がり、ニューマテリアルをともに体験するスペシャルアンバサダーのひとりに任命されていた。
世界選手権の会場となったザールバッハ
高級リゾートとして、オーストリア国内はもちろん、イタリアやフランス、スイスなどから多くのスキーヤーがバカンスに訪れるというザールバッハ。34年ぶりの世界選手権が開催されていることもあり、ぬくもりを感じる木目がデザインされたホテルが並ぶ街角には大勢の観光客、アルペンスキーファンたちの活気であふれている。その中で世界選手権のゴールエリア、つまりメインスタンドから最も近いホテルをジャックする形で、アトミックを象徴する特大のレッドスターが掲げられている。アトミックはこの世界選手権のオフィシャルスキースポンサーを務めている。
「絶好のタイミングだった。91年にこの地で開催された世界選手権でアトミックは強烈なインパクトを残した。70周年というアニバーサリーイヤーに、この一大イベントでレボショックの第二世代と新しいブーツを発表できることをうれしく思う」(ウォルフガング・マイヤーホーファー)
ザールバッハ・ヒンターグレムは150を超えるコースに、約70本のリフト・ゴンドラがかかり、それらを合計した総滑走距離は約270kmという巨大なスケールのスキー場だ。すべてのコースを網羅しようと思ったら、上級者が休まず滑っても2~3日はかかるだろう。
アトミックはオフィシャルスキースポンサーを務めた
レッドテンションカラーに彩られた新しいレッドスターを携え、レースのスタートへ上がるべくゴンドラに乗り込む。ベンジャミン・ライヒが周りの山々を指さしながら「あれがマヌエル・フェラーの育ったチロル州のフィーバーブルンスキー場で」などと話している足下で、壁のような片斜面を各国のコーチやスリップクルーが慎重に下り、はたまた氷結したアップバーンを煌びやかなスーパースターたちが雪面を切り裂いていく。メインスタンドは超満員。スタート直後のコーナーから中間のジャンプ、そしてラストの急斜面まで、コースサイドには詰め寄せた観衆が帯のように連なり、それによってダウンヒルコースの激しい起伏が立体的に浮かび上がる。やがて目の前の景色が変わっていくような静かな時間の訪れにより、その時が近いことを知らされる。選手を追いかけるドローンもはるか上空で待ち構えている。ビープ音が鳴り、滑走面を叩く乾いた音が耳の奥で響いた。2つ、3つと旗門を通り過ぎ、7秒で時速90kmに到達。中腹のバンクのようなカーブでさらに加速し、深い青に飛び込むようなジャンプを着地する頃には130kmを計測した。
ゴールエリアは熱狂の渦に
女子のダウンヒルを制したのは、ミカエラ・シフリンのチームメイトであるブリージー・ジョンソン。銀メダルは地元オーストリアのミリアム・プフナーで、見事アトミックのワンツーフィニッシュとなった。前日に行なわれた男子SGで銅メダルを獲得したエイドリアン・スミッセス・セエルステッド(ノルウェー)に続いて、チーム通算3つ目のメダルを記録。ウォルフガング・マイヤーホーファーCEOは喜びの感情をいっぱいに含んだ目で「日本チームが来てくれたおかげだ!」とあらわにし、開発責任者のゲルハルド・ライターも、現地のサービスマンも、マーケティングを担当するスタッフも、家族の活躍を分かち合うように感情を解き放った。
チームコンビで金メダルを獲得したシフリン
盟友ブリージー・ジョンソンとペアを組み、世界選手権のチームコンビで金メダルを獲った2週間後、ミカエラ・シフリンはイタリア・セストリエールで行なわれたワールドカップ・スラローム第8戦に出場し、男女通じて史上初となるアルペンワールドカップ通算100勝を達成した。
「私はまだ完全には自信を取り戻せていない。でも、今日ここに立てた自分を十分に感じている。一つ一つのターンを大事にして、今日より明日、明日より明後日と、少しでも成長することを目指していきたい」