30周年を迎えたOGASAKA KEO’Sシリーズ 受け継がれるDNA
ギア・アイテム

1996年、北海道ルスツリゾートで開催された第33回全日本スキー技術選手権大会(以下、技術選)。本命視されていた粟野利信を抑えて、その大会で初優勝を遂げたのが、技術選参戦2年目の猪又一之だった。そして、猪又の足元を大回り系種目で支えたのが、初代ケオッズだった。それは今ではごく当たり前のものであるカービングスキー(トップとテールが幅広く、深く絞られたサイドカーブを持つ)が、われわれの前に本格的に現われた瞬間でもあった。
誕生
猪又とケオッズの出会いは、そこから1年前にさかのぼる。1995年、長野県の野沢温泉スキー場で開催される第32回技術選の直前、猪又はオガサカのスタッフから「これを履いてみないか」と新しいスキーを渡された。それはケオッズの原型となる3台のプロトタイプで、まだ名前も決まっておらず、デザインも乗っていない真っ白いスキーだった。
そのスキーをテストした猪又は、衝撃を受けた。
「こんなに簡単にスキーが曲がるんだ。よくエッジがかかるし、切れる」
そのスキーを設計・開発した長田和隆は、テスト中の猪又の滑りをポールバーンのいちばん急で、深いターンが求められる場所で、上司とふたりで見ていた。
「いちばんむずかしい場所を、一之君はシュッと通過していった」
そのとき長田は思わず上司と目を合わせ、「これだ、間違いない」と確信した。

技術選参戦2年目で初優勝を遂げた猪又
ケオッズが登場する前、技術選の選手が使っていたスキーは2m前後の長さで、サイドカーブのラディウスは40~50mというものがスタンダードだった。
選手の技術も、外側に逃げていくスキーのズレをいかに止めて、切れの良いターンを見せるかというものだった。しかし、このプロトタイプスキーは、それとはまったく異なる技術を選手に要求した。
「スキーにかけていく力の方向が、従来のスキーとは大きく違ったんです。それに、ハイスピードでカービングの大回りをすると、ものすごく強い外力がかかってくるので、それに耐えられるかというのも大きかった」(猪又)
実際、そのテストに参加したオガサカのデモAチームのなかにも、そのスキーを履きこなせない選手がいた。その前年まで全日本チームレベルでレースを続けてきた猪又だからこそ、新しいスキーにすばやく対応し、履きこなすことができたのだ。
証明

このプロトタイプが本領を発揮したのは、技術選の準決勝に設定されていた「大回り・急斜面・整地・規制」だった。この種目が行なわれたユートピアゲレンデは、その名前とは裏腹に最大斜度32度を誇る急斜面。その斜面に落差40mのターンを求めるフラッグを立ててターン弧を規制するこの種目は、今でも語り継がれるほどの難易度を誇る種目だった。
真っ白いプロトタイプを履いてこの種目に臨んだ猪又は、種目2位となる281点を獲得。その滑りの鋭さを技術選ファンや関係者に強く印象づけた。
「エッジのかかりがよくて、早い段階から雪面をとらえられるので、ひとつのターン弧をしっかりと仕上げられる。その結果、次のターンにも入りやすくなるというスキーでした。だから、急斜面でもしっかりと切れるターン弧を仕上げることができました」(猪又)
このとき猪又が使ったプロトタイプのプロフィールは、トップ100mm、センター62mm、テール90mm。そしてサイドカーブのラディウスは28mだった。

1994年、ケオッズのプロトタイプを開発した長田和隆
そもそも、この形状のスキーを作ること自体が簡単ではなかった。スキーが全般的に細かったその当時、オガサカのスキーの材料の幅はもっとも広いもので90mmしかなかったからだ。しかも、工場の機械も、それに合わせて90mmまでというものがほとんどだった。それに困った長田は、スノーボードの材料に着目。それをスキー用に使うことで90mmの壁を突破した。そして、工場の機械も幅広いスキーを作れるものに一新したという。
ケオッズのプロトタイプとなるスキーが生まれたきっかけは、ある選手からの長田へのリクエストだった。
「技術選の大回りで勝てるスキー、切れるスキーを作ってくれと。それで、とにかくサイドカーブの絞りのきついスキーを作ろうと考えたのがきっかけです。トップの幅を広く、テールの幅を狭くして、サイドカーブを絞れば、雪面抵抗をとらえて回りやすくなるということはわかっていたのですが、実際に作ってみたらどうなるのかは、まったくわからなかった」(長田)
その結果が、野沢温泉大会の「大回り・急斜面・整地・規制」で猪又によって証明され、そのシーズンの終わりから95/96シーズンに向けたスキーの開発が始まった。ハイスピードの大回りはもちろん、さまざまなターン、さまざまなシチュエーションで滑り、サイドカーブをはじめスキーのバランスを微調整していった。
熟成

白地に鮮やかな黒と赤を組み合わせたコスメティックを持つ初代ケオッズ
その結果として世に送り出されたのが、初代ケオッズだ。カービングという言葉は、まだ一般的ではなく、当時のカタログでうたわれた言葉は“ニューサイドカーブスキー”だった。
「ケオッズを使うことで、スキー技術に対する考え方が大きく変わりました。それまではスキーを平面的にとらえていて、スキーがたわんだら、あとはひねって回すと考えていたけれど、そこに角づけが加わって3次元的にとらえるようになった。スキーに角づけすることでたわみが生まれ、そのたわみや角づけを調節することでターンをコントロールしていく。ひねりの要素が少なくても回るスキーというイメージで、だいぶ技術に対する考え方が変わりました」(猪又)

久しぶりの再会を果たした長田(左)と猪又(右)
それはスキーを設計・開発する長田も同様だった。
「それまでのスキー作りは、構造や材料、たわみ方という要素しかなかった。そこにサイドカーブという要素が入ってきたので、作り手としてはおもしろくなって、スキー作りに没頭しました。滑り方を変えなければいけないから、最初は『使えない』といった選手もいましたが、一之君が選手が使えるスキーだということを証明してくれた。私たちは、それを見て、ずっと大切に育ててきた。その育ててきたということが、とても大事なんだと思います」(長田)
猪又が初優勝を遂げたルスツ大会、オガサカチームの選手の多くが初代ケオッズを履いて技術選に臨んだ。その結果、当時、男子で60位タイまでしか進めなかった決勝(現在のスーパーファイナル)に40人近くが進出。そのポテンシャルの高さを見せつけた。
その後もケオッズは技術選の大回り系種目で選手が使うモデルとして進化と熟成を重ねていった。2005年に佐藤久哉が初優勝を達成したときも、2006年に2連覇を遂げ、2位片山秀斗、3位丸山貴雄とオガサカチームで表彰台を独占したときも、その足元を支えていたのはケオッズだった。
カービングスキーをどのメーカーが最初に作りあげたのかには諸説ある。しかし、競技レベルのスピードで滑れるカービングスキーを作り、いち早く世の中に向けて発信したのはオガサカであることは間違いない。ある選手のひとことをきっかけに長田が考え、そのポテンシャルを猪又が証明したスキーは、その後、スキー作りの方向を大きく変えていったのだ。
新生

そんなケオッズのオガサカのラインナップのなかでの位置づけが大きく変わったのは、2009年。〝技術選で勝つ〟ことを命題にするニューモデル、TC(Technical Competition)シリーズが技術選に投入、販売されることになったときだ。
「今のケオッズのコンセプトは、オールラウンドカービングです。ずれてしまうではなく、ずらしやすい。そして、むずかしい斜面でも切りやすい。そのように自在性が高く、誰にとっても使いやすいスキーが、ケオッズです」
こう話すのは、技術選を引退してから5シーズン、オガサカスキーのテスターを務める竹田征吾。レーシングモデルのトライアンシリーズとファットスキーのEターンシリーズを除き、オガサカスキーの全モデルのテスターを務め、その乗り味を決定する役割を担う一人である。
オールラウンドカービングとして熟成を重ねてきたケオッズの設計・開発に大きな変化が現われたのは、24/25シーズンだった。それまでひとつの円弧でサイドカーブを作っていたケオッズが、このシーズンのモデルから4つの円弧を組み合わせたマルチアークジョインテッドカーブを採用。新たな発想によるサイドカーブを搭載して登場した。

2024/25シーズンからTC、ケオッズシリーズの開発を担当する河合茂博
このマルチアークジョインテッドカーブを開発したのは、2022年にオガサカに入社した河合茂博だった。この年の1月に入社した河合は3カ月の工場研修を終えたのち技術部に配属。「好きなようにやっていい」という上司からの言葉を受け、1カ月間、集中して4つのアールをつなぎ合わせてサイドカーブを作るツールを開発。その完成ののち、ケオッズの開発を担当することになる。
「ケオッズのコンセプトは、オールラウンドカービング。それなら、とことん切れるスキーを作ろう」という思いで河合は設計をスタートさせていた。
「それまでのオガサカではひとつの円弧を使ったサイドカーブが主流でした。でも、ひとつの円弧ではセンターのいちばん細いところを、スキーのどこに設定するかを調節できません。ところが4つの円弧を組み合わせることで、スキーの設計の幅が無限大といってもよいほど広がって、いちばん細いところを、たとえばブーツセンターの少し前にするとか、少し後ろにするという調節ができるようになる。それが大きな違いです」(河合)
進化
22/23シーズンが始まって間もない頃、河合は2台のテストスキーを持って志賀高原の横手山スキー場に向かっていた。それはリニューアルするケオッズと同じ不等圧や材料、バランスを使い、サイドカーブだけを変えたテストスキーだった。その一台は、河合が設計したとおりのスキーで、もう一台は、「設計どおりだとピーキーな性能になるから」とバックアップ用に作ったスキーだった。
このテストでは、他の社員が開発したスキーもテストされたが、試乗した竹田が押したのは河合が作ったスキーだった。そして、「ピーキーなスキーをTCにして、バックアップのスキーをケオッズにしたらおもしろいものができる」と評価。「河合さん、材料も含めて、もっと自由にやっていいですよ」という言葉をくれた。
そのとき竹田は、こう感じていた。
「スキーって作る人によって、こんなに変わるんだと。ターン前半はトップ側に荷重して入り、中盤はセンター、そして後半はヒールよりになるのですが、それぞれの部分でアールの働きが違ってくる。サイドカーブに4つのアールがあると、どこかで引っかかるのではないかと思っていたのですが、よりいっそうなめらかになっていた。それにターンを仕上げるときに深くスキーが出ていく動きも感じられました」

これからのオガサカスキーの性能や乗り味を担っていく竹田(左)と河合(右)
スキーの設計は、イメージした滑りを実現するスキーの形を、一つひとつ数字に置き換えていく作業だと河合はいう。そして、スキーテストは、設計者のイメージどおりのスキーに仕上がっているかどうかを、テスターに確認してもらう場だ。テストに先立って、このスキーはどういう人たちに向けて、どんな性能を持ったモデルにするのか、そのモデルごとのコンセプトを綿密に話し合う。そして、テスターの評価を受けて、ねらいどおりの性能が出るように設計を変更したり、材料を変えるなどして仕様を煮詰めていく。
その作業は、ときにはスムーズに進むが、一端停滞するとなかなか先に進まない。日本に雪がある期間で煮詰めきれず、海外の室内スキー場まで足を運んだこともあったという。
そうして竹田と河合が作りあげたケオッズは、24/25シーズン、“ネオカービング”と銘打って販売され、多くのスキーヤーから好評をもって歓迎された。
26/27シーズンに向けてもケオッズの進化は止まらない。その乗り味と性能を、ぜひあなたも体感してみてはいかがだろうか。
