弓野華緒「スキーの性能を引き出して気持ちよく!」
インタビュー
──弓野さんは5歳からスキーを始め、ずっと競技スキーに取り組んできたとお聞きしています。技術選に参戦したきっかけは何だったのでしょうか?
弓野 北海道だと、アルペンスキー少年団のようなクラブチームがごく普通にあるので、アルペン競技を始めたのは自然な流れでした。実は高校生のときから技術選には興味があって、高校三年生のときに初めて予選に出場しました。その後、就職を機に本格的に基礎の世界にチャレンジすることにしたんです。
──ホームのスキー場は名寄ピヤシリスキー場ですよね、選手時代からずっと懇意にしているコーチがいらっしゃるそうですが。
弓野 はい、井上慶一コーチには小さい頃から滑りをずっと見てもらってきて、現在の私の滑りも井上コーチにご指導いただいたことがあってこそ組み立てられたものだと思います。
──全日本技術選へは19歳のときに出場して、通算8回出場ですね。たしか全日本初出場のとき、決勝まで進出して女子総合25位の好成績で話題になり、その後も毎年着実に順位を上げて昨春に自己最高の4位……。
弓野 自分ではその時にできることを精一杯やってきただけなので、それが結果につながっているのはうれしいですね。
──初めて技術選に出たときはどんな印象でしたか?
弓野 すごく頭を使う大会だなと(笑)。競技は速ければいいわけですが、技術選は種目もさまざまですし、考えなきゃいけないことがたくさんあって……。でも、それが面白い!って思えたから、自分には向いていたのかなって。
──さきほど、「井上コーチにご指導いただいたことで組み立てられた滑り」とおっしゃいました。これまで8回出場した技術選でも、常にブレずにその滑りを表現してきたのでしょうね。
弓野 はい。私の場合、競技のテクニックをベースに技術選にアジャストすることを考えてきて、技術選初挑戦の時からそれを貫き続けてきたという自覚はあります。もちろん細かな調整というか「見せ方」みたいなものは毎年アレンジしていますが、根本の考え方「ターンの設計図」は変わっていませんね。ただ、不整地種目に関しては、いろいろな選手の滑りを研究して自分なりに組み立てる努力をしました。また私の場合、ジュニア技術選などを経由したわけではないので、不整地種目の経験値もあまりなくて、そこは苦労しましたね。
──でも、男子の若手選手から弓野さんのコブ斜面の滑りを賞賛する声が上がったり、十分にトップ選手の貫禄が溢れていたと思います。毎年順位を上げる中で、緊張感やプレッシャーなどはいかがでしたか?
弓野 この春の大会は緊張していましたね。少しずつだけど毎年順位が上がっていたから、絶対に順位を下げたくなかったし、失敗だけはしないようにいつもとは違う緊張感を感じていたと思います。
──裏を返せば、「今年は去年よりいい成績を出せる!」っていう思いが弓野さんの中にあったのでは?
弓野 あ、そうかもしれません(笑)。
──さて、昨年までナショナルデモンストレーターとしての活動もしていたわけですが、どうでしたか?
弓野 私は一期だけしか活動しなかったのですが、ひと言で言えばとても勉強になりました。選手として技術選に出る時も「見せ方」は気にするのですが、デモとして滑るときは、より高い水準でそれが求められますから。でも、たくさんの方と出会えましたし、デモとして活動できたことは間違いなく自分の財産ですね。
──技術選での戦い方やデモとしての活動、そこで求められるものは別として、「弓野華緒の滑り」を表現するとしたら、どんなものでしょう?
弓野 う~ん、なんか独特な滑りかなって(笑)。ただ、「スキーの性能をフルに使って、推進力を引き出す」ということだけはずっと変わっていなくて、それこそ子供の頃から井上コーチに叩き込まれた技術の核みたいなものです。
──弓野さんはいわゆるサラリーマンスキーヤーですが、今後はどんな活動をしていきたいですか?
弓野 あまり派手な動きは考えていなくて、まあ地味に(笑)。とは言っても、北海道は仕事終わりにナイターを滑ることもできますし、トレーニングはしっかりとやっていこうと思います。また、井上コーチが引退されたら、何らかの形で地元の指導者として恩返しもしたいですね。
ゆみの・かお●1996年12月8日生まれ。北海道下川町出身。スキーとの出会いは5歳のとき、家族に連れて行ってもらったのが始まり。その後は地元下川町のアルペン少年団~名寄のアルペンスキーチームに所属して、高校卒業まで競技に打ち込む。19歳で技術選に初挑戦し、通算8回出場。今年の第60回大会では女子総合4位を記録した。元ナショナルデモンストレーター